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2013年3月15日金曜日

カンボジアその1〜ポル・ポトの悪夢〜


昨日、カンボジアから無事帰国しました!!
加盟している
教育支援視察ツアーの一環として
行って参りました!!!


何回乗っても
飛行機が空を飛ぶのは不思議です。。。







はい、
そもそも、なんで
カンボジアに教育が必要なんでしょう!?


みなさんはご存知ですか?

カンボジアの暗い歴史を・・・


その歴史がわかる場所があります。
今回のツアーで私が一番衝撃的だった場所なので
書かせて頂きます。







1975年
ポル・ポトが政権を握りました。
それからこの国は地獄のようになりました。

その出来事からまだ30年も経ってないんです。

今のカンボジアを大きく変えた出来事でした。




それを知るために
私たちは
トゥール・スレン博物館という所に出向きました。


そこはあまりに惨すぎて
あまりぱしゃぱしゃ写真を撮る気になれず。。。
申し訳ありません。


トゥール・スレン博物館です。
青々とした中庭に立派な椰子の木
そして無機的な灰色の3階建ての建物

ここは当時、反革命分子を見なされた人々を収容する刑務所でした。




その革命は「原始共産制」という狂気の沙汰ともいえる政策でした。
本当に理解に苦しみます。


あらゆる生産手段、生産物を共有し自給自足の生活を目指すという政策です。

それにより、
学校、病院、そして通貨までが廃止されました。
都市は必要ないとして、プノンペンにいた人々は農村に強制移住させられ、
首都はゴーストタウンと化しました。

農村に追いやられた人々は荒れ果てた土地を開墾したり、
ダムを造ったりという肉体労働をさせられました。

そして、知識人は革命の敵として次々と殺されていきました。
(医者や、先生にあたる人々です。)

そういった人々を収容したのがこのトゥールスレンです。
ここでは収容者は考え難い拷問を受けました。


この刑務所には約2万人が収容されていたといいます。


しかし生存者はたったの6人。


私と同行したメンバーも理解不能のまま
次の土地、
キリング・フィールドへ向かいました。




真っ青な炎天下の空の下、
緑の木々や芝生に囲まれた慰霊塔、そして共同墓地がありました。
慰霊塔のガラスケースには遺骨が安置されていました。



8985人分の遺骨があるそうです。
付近の地面には埋められた遺骨を掘り返した穴が残っています。







供養のミサンガがたくさん・・・






ポル・ポトの革命は1年を持たずして破綻したそうです。
政策の失敗により国全体が飢餓状態に陥ったのです。

ポルポトの裏切り者は摘発され、
政府に反対する意見を口走っただけで
反乱分子とされてしまったそうです。

摘発された人々はいとも簡単に殺されていったといいます。

次第に殺す側の兵士や密偵たち、誰もが疑心暗鬼になりました。



今生きるカンボジアの人々、
肉親の中に殺された者が何人いるはずで、
殺す側だった者も大勢いるはずです。



30年前の知識人たちの存在が
ぽっかりと空いたまま今に至るカンボジア、
きっとその事件がなければ今の状況にはなっていないと思いました。


現在のカンボジアはその状況からは平和な状態を保っています。
町も発展しつつあります。


これからの子どもたちがしっかりとした教育を
受ける事ができれば
カンボジアは
きっと素晴らしい国になります。


カンボジアには
教育が必要です。


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